艦これで「雲竜」「磯風」などをはじめとする新キャラの画像などが公開。
空母 雲竜
雲龍(うんりゅう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。雲龍型航空母艦の一番艦。太平洋戦争末期に竣工したため空母として実戦に参加する機会はなかった。
1944年12月中旬、フィリピン方面への軍需物資および特攻機「桜花」輸送任務中に米潜水艦の雷撃を受け、撃沈された。via ■雲龍 (空母) – Wikipedia
陽炎型駆逐艦 磯風
磯風の艦名は磯風型駆逐艦「磯風」に続いて2代目。本艦は陽炎型駆逐艦の12番艦である。第17駆逐隊に所属して、真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、南太平洋海戦、ガダルカナル島撤退作戦、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦など、太平洋戦争中の数々の主要な海戦に参加[1]。
大和、武蔵、信濃、金剛、愛宕、大鳳、蒼龍といった連合艦隊主要艦艇の沈没に遭遇した[1]。
1945年(昭和20年)4月7日、坊ノ岬沖海戦にて被弾し航行不能となる。戦闘終了後、第17駆逐隊僚艦「雪風」により自沈処分。
陽炎型駆逐艦 時津風
浦賀船渠で建造され1940年12月15日に竣工した。呉鎮守府籍。当時、第2水雷戦隊・第16駆逐隊は陽炎型3番艦「黒潮」、7番艦「初風」、8番艦「雪風」で構成されており、紀元二千六百年記念行事に伴う紀元二千六百年特別観艦式にも第16駆逐隊はこの3隻で参加している。その後、陽炎型9番艦「天津風」及び10番艦/本艦の就役と第16駆逐隊加入に伴い、「黒潮」は第15駆逐隊に転出した。太平洋戦争開戦時、第2水雷戦隊(司令官田中頼三少将/旗艦神通)は第15駆逐隊(夏潮、黒潮、親潮、早潮)、第8駆逐隊(大潮、朝潮、満潮、荒潮)、第16駆逐隊、第18駆逐隊(不知火、霞、陽炎、霰)をもって構成されており、第16駆逐隊は第1小隊(司令艦/雪風、時津風)・第2小隊(天津風、初風)という編成であった[1]。なお第8駆逐隊は南方部隊本隊、第18駆逐隊は南雲機動部隊に所属しており、第2水雷戦隊の直接指揮下になかった。
太平洋戦争では、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、スラバヤ沖海戦、イザベル島沖海戦(ケ号作戦)に参加した(参加した隊に関しては後述)。1942年(昭和17年)12月上旬、空母「龍鳳」「冲鷹」が横須賀からトラック泊地への輸送任務を行うことになり、その護衛艦に「時津風」と「卯月」が指定された。「時津風」は途中で「龍鳳」と分離しサイパンへ向い[2]、トラック泊地からは駆逐艦「朝雲」「時雨」が「龍鳳」を出迎える予定であった[3]。12月11日、「龍鳳」「時津風」は横須賀を出港したが、翌日に米潜水艦の雷撃を受けて「龍鳳」は中破[4]。「龍鳳」と「時津風」は横須賀に引き返した[5]。結局「冲鷹」「卯月」のみがトラック泊地に向かい、「朝雲」「時雨」と合同した。